ha ha ha 考える歯

「歯医者と美空ひばり」 阿久 悠さん(作詞家、作家)

 ちょっと奇妙なことを書くが、ぼくの前半生で逃げまわりつづけ、後半生になってから急接近したものが二つある。
敬称略的な言い方をすると、「歯医者」と「美空ひばり」である。
ただし、この両者の間には何の関係もない。
ただぼくが、その昔逃げまわっていただけのことである。
どちらから書くべきか。
理解して貰いやすい方から書くとすると、歯医者である。
これは特にぼくが異常だったわけでも、臆病であったわけでもなく、昔の子供なら誰でも、あの痛みと脳神経に響く音と振動は、敬遠したものである。
経験がないのに伝聞だけで恐怖を覚え、虫歯を酷くした子もいる。
ぼくもどちらかというと、そちらかもしれない。
いいよいいよ、何とかなるよと拒み続けていた。
子供時代ならともかく、大人になって、それも、物書きになってからも、アナのあいた奥歯に、 伝統的整腸剤の丸薬を詰めて痛みを止め、いいよいいよ大丈夫と言い続けていた。
 それが田北さんとの出会いで解消する。
逃げまわるどころか、一時は治療を口実のように、通いづめた。
歯が見違えるようになったことはもちろんだが、リラックスする知的な時間が貰えたのである。
歯という局所だけで唯一認知されていると思っていた歯医者との関係が、人間を健やかに生かせるために歯は 如何にあるべきかという考えが、心にしみたのである。
田北さんとだと、顔を会わせて知らん顔、 口を開いてはじめて、ああ、あなたですか、という笑い話は成立しないのである。
 さて突然方向転換して、もう一つの逃げ回ったもの、ものといっては申し訳ないが美空ひばりである。
彼女はぼくと同年の生まれである。
ぼくが、瀬戸内海の島の只の少年であった頃、彼女は既に、 日本で知らぬ人のない天才スターであったわけで、この差は大きく、ぼくは逃げた。
同年だと言って比べられても困るし、癪にもさわるし、敬遠したものである。
しかし、よくよく考えてみると、いや、考えるまでもなく、並べられること自体がないのだから、この意識も妙である。
自意識過剰も滑稽なほどで、馬鹿だねと思っていたら、ぼくが想定外の作詞家になってしまい、なかなか逃げるのも困難になった。
だが、ぼくは、それでも逃げた。
ただ逃げるのは恥ずかしいから、逃げることを理論武装して、心の中で闘った。
どういうことかというと、ぼくは、作詞家として本格的にスタートする時、「美空ひばりによって完成したと思える流行歌の本道と、違う道はないものであろうか」と、 本気で唱え、その考えの下に三十数年詞を書き続けた。
おかげで、それはぼくの個性にもなったのである。
同じ世界にいながら、作詞家阿久悠は、歌手の美空ひばりから微妙な距離で逃げられた。
しかし。
想定外は、平成元年この大スターが五十代の若さで死んだことで、ぼくは作詞家として 逃げるのではなかった、勝負すべきであったと悔やんでいるのである。
以上、解決した「逃げる」と解決し損なった「逃げる」について書いてみた。