ha ha ha 考える歯

「国益への偉大な貢献」 小山 観翁さん(カブキ・キャスター)

世間でよく、「あのお方にあやかりたい」・・・などと言う。
“あやかる”というのは、今風に言えば、「あのお方」の持っている繁栄の波長を、自分の持っている波長と合致させ、その幸運を複製させてもらう、ということであろう。
人は、大なり小なり、よいものにあやかりたいと思っているから、成功者や金持ち、長寿のひと、勝負事の勝利者などの周辺に、 集まろうとするのである。
だから、人は普段が大切で、尾羽(おは)打ち枯らした格好や、不景気な態度を見せてはならないのだ、とわかる。
そのようなことを、遠い昔から、人は経験的に知っており、さればこそ、「あやかる」などという事が単なるお世辞や迷信でなく、 それなりに理由を持って居たのであろう。
だから、人は、相手の持ち物を褒めるのが礼儀となっている。
手近な例は、相手方の奥さんを“令夫人(れいふじん)”、娘さんを“令嬢”となどという。褒めているのである。
つまり、“令”とは、“よい”という意味なので、この場合は、“よい奥さん”であり、“よいお嬢さん”ということになる。
令の字に、よいという意味があるのは、たとえば、年齢というときの“齢”で、歯がよいことが、齢(よわい)を重ねるために、是非とも 必要な条件だとわかる。
さて、そうなると、年相応に、いたんでくるのが歯だが、これを令(よ)くしておかないと、人生航路を乗り切ることは困難だとわかる。
さてそうなると、歯医者さんのご厄介になることになるが、われわれは、ここで、決して不景気な歯医者さんへ飛び込んではならない。
迂闊にそんな事をすれば、不景気な波長を持った歯をすげられて、それがために不運を背負い込む(?)ことにならないとも限らないからだ。
そういう観点よりして、最も安心なのは、田北敏行先生率いる「日本歯学センター」なのである。
ここは、繁栄の波長にみちている。
これまで、この欄を通じて、あまたの患者諸氏が、口をそろえて絶賛する“雰囲気のよさ”とは、実に此の 「繁栄の波長を浴びている心地よさ」にほかならない。
歯学センターに出入りする患者は、世の中の生存競争に打ち克った勝利者たちである。
(…但し、私のごとき、勝利者か敗北者か、いまだによくわからない患者も、すこしは居るのだが)。
この人たちが、大きな口を開いて繁栄の気を吐き出すのだから、ここの空気は、繁栄そのものになっているのである。
げんに私は、別の機会に田北先生のご知遇を得、その方面からのお付き合いは長いのだが、歯の治療を願ったことはなかった。
それは、私の運勢が、まだ繁栄の域に達しておらず、ここの患者などになるのは、烏滸(おこ)がましいと思い、差し控えて居たからで、 それほどに、ここの空気は、勝者の波長に満ち満ちて居るように思えたのであった。
しかしながら、私も、やがて八十を迎えることであるし、妻も七十五歳を突破する。
もはや、芝居で言えば、人生の幕切れである。

 もし歯が令(よ)くて、この上の倖せが舞い込むならば、歯学センターを措いて他にはない、と考えるに至り、妻ともども、お世話をねがい、人生の幕切れを、飛び六法で飾ろうということで、至れりつくせりの治療を、完了したばかりのところなのである。
ここに出入りしていて驚くのは、世の中で、名士淑女と言われる人の、実に多くの方々が、さりげなく患者として集まっていることで、他の歯科医院なら、この顔ぶれの、たとえ一人か二人でも患者に持てば大いにステータスシンボルになりそうな有名人が、さりげなくやって来て、さりげなく消えてゆく。これが憎い。
むろん、私の存じあげている方も多いが、ここのスタッフの皆さんは、口が固くて、決して患者の噂をしないから、偶然、ハチ合わせしない限り、客筋の実態はわからない。
こうしたキメこまかい配慮が、「あそこは雰囲気がいい」という一言に結晶しているわけで、この一言は、医業と、患家との基本にかかわる大切な問題であり、歯学センターは、まことに稀有の、超一流病院だ、とわかる。
かかるスタッフのキメこまかい配慮の上に、田北先生御親子や、これを輔ける若いお医者さまたちが築いた“名医”の活躍の場が 展開しているのだから、まさに鬼に金棒であり、大きく考えれば、吾国の国益への、偉大なる貢献と言えよう。
なぜなら、ここに集まる患者さんの多くは、なんらかの形で、国益を担う方々で、もし、この面々の歯が駄目になれば、国は大きな損失をかかえてしまうことだろう。…という次第で、私は、田北先生ご一門のファンなのであります。