ha ha ha 考える歯

「田北さんとの四半世紀」 野田 一夫さん(多摩大学名誉学長)

  「いや、僕はついて来ただけですから・・・」と言う間も無く、私は診療椅子に寝かされて大きな口を開けることになった。
「なるほど、いい歯をしておられますが、これからのことを考えると・・・」という勧めが、私と田北さんとの長くて深い付き合いの端緒だった。  

出逢い―某君との縁

   幸いにも私は子供の頃から病気らしい病気一つせず、また中年になって以後も老化防止の努力らしい努力を一切しないで元気に八十歳を迎えようとしているが、医者の友人や後輩たちからは繰り返し、「(強いDNAをくれた)両親に感謝しなさい」と言われつづけてきた。
 もちろん両親には感謝しているが、私にはもう一人感謝する人がいる。田北敏行氏だ。
実はもう四半世紀以上にわたって氏のクリニックでほぼ毎月歯のクリーニングをやって頂いたおかげで、私は今も全部自分の歯で昔通り何でもバリバリ食べている身だからだ。
平均的日本人は五十五歳を過ぎると八十%が歯周病となり、結果としてやがて入れ歯に頼らざるを得なくなるという。
私は別にその統計的事実に恐れをなして歯のクリーニングを続けてきたわけではない。
きっかけは、同年の親友の一人の悩みと慧眼から生まれた。
約三十年前のことだが、同君はすでに前歯の大部分に金が被せられていて、私などはとくに気にしなかったが本人としては相当悩んでいたらしく、ある日突然「アメリカの最新の歯学を学んでいる名医に診断してもらうから、一緒してくれないかね・・・」と電話がかかったのである。
親友からのたっての依頼を断わるはずはなく私は同行したが、道すがら、「金歯は米国では後進国民の象徴。その先生は僕の歯を全部自然な白い歯にしてくれそうだ・・・」と聞かされ、半信半疑のまま新宿にあった大学病院を訪れ、初めて気鋭の田北さんにめぐり合った。
・・・診療室から友人と一緒に出てきた先生は僕に「多少時間がかかりますがこの方の歯は必ず健康になりますよ。・・・それでは、あなたを・・・」とあの人懐っこい童顔を私に向けてニッコリ笑った。
まるで去年のことのように鮮やかに今も僕の心に残る思い出である。
「いや、僕はついて来ただけですから・・・」と言う間もなく、私は診療椅子に寝かされて大きな口を開けることになった。
「なるほど、いい歯をしておられますが、これからのことを考えると・・・」という勧めが、私と田北さんとの長くて深い付き合いの端緒だった。  

その後—歯科クリニックの革新

 やがて氏は、ホテルニューオータニが建てた紀尾井町のオフィスビル ガーデンコート七階にクリニックを開設された。
ちょうど相前後してこのホテルと直結する「ザ・フォーラム」一階にオフィスを構えた私から誘われたからだと、田北さんはおっしゃってくれる。
実は私には、それについて定かな記憶はないのだが、内装・設備が整った後に初めてお伺いした時の衝撃は一生忘れられないだろう。
それは私だけではなく、その後そこを訪れる全ての人びとの‘歯医者’のイメージを一変させるに足る革新だったからだ。
チャイムを押して中に入ると、そこは当然“待合室”いや“客間”。
田北さんの昔からの友人の一人である名建築家菊竹清訓氏がデザインしただけに、ソファにゆったり座って室内を見回すと、洗練された明るい内装空間に身を置く快さを誰もが実感できる。
壁の絵も、一隅を彩る季節の花も・・・この快適空間の創出に欠かせないものだ。
一息ついて、いよいよ治療室へ。
診療椅子へ座ると、眼前の広い窓に高い木々の緑を背景に白いプリンスホテル旧館が一幅の名画のように遠望できる。
安らかな気分で横たわって、人は初めて、最新の医療設備もまた素晴らしいインテリアと化すことを教えられる。
ところで、医療設備はもとより医療技術についてはなおさら私は口を慎まねばならない。
なぜなら、私は人生で未だまともな歯の治療を受けていないからだ。が、ここへ通う私の多くの友人は異口同音に言う。
「一度ここへ来ると、もう他へは行きたくなくなる。」と。
  この感想には患者としての満足以上に、ある種のときめきのような気分が含まれている。
ここでは、旧知の友人知人の誰かと思いがけなく出くわして談笑できる楽しみがあり、また、かねてから名前だけは知っていた人との深い交友の糸口が生まれる楽しみもある。  

これから-クリニックからサロンへ

   童顔の田北さんも古希を過ぎてすでに三年になられるが、医師としての変らざる研鑽と献身には真に頭が下がる。
四人のお子さん全てが立派に一人前となられ、ここ数年ようやく婦人と睦まじく海外旅行を楽しまれる心境に達せられたのは、慶賀の至りだ。
二人のご子息は共に父上の影響で大学では歯科を専攻され、歯科医の道を歩んでおられる。
とくに長男行宏氏はハーバード大学インプラント認定医、また米国レーザー歯学会指導医の資格を取得後、スウェーデンの顎顔面外科に留学、2006年から父君の右腕として颯爽と勤務中だ。
  二人のご令嬢のうち次女志のぶさんは、広く知られた国際バレリーナ。
幼くしてその才能を見出されて単身ボリショイバレエ学校へ留学。
卒業後はキエフバレエ団の花形プリマとして世界各地で公演活躍され、2006年にはその功によりウクライナ功労芸術家の称号を同国大統領から親授された。
田北先生のお客さまもますます多彩になっていく上に、例外なく人品骨柄がいい。
ちょうど心のゆとりを求める欧米人が日常愛好するクラブないしサロンのように、すでに“頼れるクリニック”を超えた“心の癒しの場”になっているのだ。
目下有志によって、田北会(仮称)をつくろうという動きも進められている。
すでに田北さんを中心に長年形成されてきた親密多彩な人間関係を大きく結び、名実ともにユニークなクラブないしサロンとして永続性を確固ならしめたいというのが、その狙いとされる。
これからも田北さんの存在は絶対だ。もちろん診療に関しては、陣容も強化されたから、大所高所から全てを診る立場になられるのは当然の成り行きだが、治療を超えた“癒しの場”としてのこのクリニックの最大の魅力は、田北さんあってこそ保持されるものだからだ。
 
あらためて、田北さんのご健勝とクリニックのご発展を心からお祈り申し上げる。